お題なるものの活用「好きな街」について
書くことはたくさんあるけど、サボっているというか、けっこう忙しかったりというかブログを書いていませんでした。
別に使命感にとらわれて書いてるわけではないけど、書かなくなれば流れが悪くなりいつしか本当に書かなくなるような気もする。
そこでお題が提供されているので面白そうなのがあればお題で書いてみようかと現在に至るわけです。
好きな街と言われて地元は答えませんが、決して嫌いなわけでもない。
「好きな街は⁇」と聞かれて、けっこう悩みます。割と色々なところに行った気もします。
でもその中で、初めて「この街いいな」と思ったのは…
やはり広島の「尾道」だと思う。
海沿いの街、海と山にはさまれた街と言ったら語弊があるのかもしれない。
山手の方にはお寺があり、寺巡りが楽しめます。
その寺巡りの道はけっこう入り組んでいて、狭い小道を、しかも坂ばかりで年配の方には少しキツイかもしれません。
しかし通りにくい「狭い小道」というのは、悪いことばかりでもない。
たしかに、狭いと人と人が離合するのに面倒かもしれない。
でも、ここはジョースター卿の「逆に考える理論」。
通りにくいと人はどうするか⁇
大半の人が、「譲りあい」の気持ちが生まれると思う。
狭いと人と顔をあわすことになる、そこで「挨拶」が生まれる。
この2つは現代において少し失われつつある節があるように思う。
その中でこういう場所は逆に考えるといいことなのかもしれないと思う。
そんなことしなくても、ツイキャス、LINELIVE、人とふれあう方法はいくらでもあるというかもしれない。
それを否定しようとは思わない。
でも、なにかが違うと思う。
便利になったぶん人は考えることやめている。
その範囲が広がるとあらゆることを考えるのをやめる。
それはしかも、意識してやめたものではない無意識下で起きてしまう。
悪く言えば、最初からそのような生活をしていたら、大人が忘れたソレをそもそも知らない世代が生まれてくるわけだ。
大袈裟に言っている気もするが、何事も大きくなれば思いもよらないことが起きるという事。
そう言った中で、尾道のような街は忘れてしまった何かを得られる場所ではないかと考え、それを含めお寺もいっぱいあったりと、
自分にとっては
すごく素敵な街に感じています。
バドミントン
少し前から、なぜだかバドミントンを始めることになった。
周りが昨年(2016年)のオリンピックに影響を受けたのか、何かスポーツをしようと言うことで始めることになったのは間違いない。
面白そうではあるので興味はある。
しかし、金もかかるし田舎であるためサバゲーができるところも限られる。
サバゲーなんてどこでもできそうと思われがちだけどそうでもないようだ。
そこで、代わりと言ってはなんだが始めたのがバドミントンというわけ。
自分はというと、遊び程度の気持ちでやってた。
のにも関わらず、周りがガチでやりはじめるとその空気に乗らなければならない。
空気に乗るというより、突然吹き荒れ始めた風に飛ばされる落ち葉のようなものと思った方がしっくり来る。
自分にとってそれほだ本意な動きというわけでないということ。
これからの関係も築いていくためには大切なことなんだろうけど。
ジョジョの奇妙な冒険について
最近「ジョジョの奇妙な冒険」のマンガを集め始めました。文庫判ですが。
それと同時に近年アニメ化されたものを観はじめたので、それについてでも書きます。
1部2部を一気に観て、最近第3部に差し掛かりました。3部は前に少し観たけど、本格的に。
4部はちゃんとリアルタイムで観ました。
ところで4部が叩かれまくってて引き合いに出されるのがこの3部。
よく4部も「3部クオリティなら」と書かれているのを目にする。
ちなみに、自分は某ちゃんねる掲示板を見ることが少なくなり、それをまとめた「まとめサイト」と言うものを近年ではよく見ています。
話は戻るけど4部は省かれた部分も多いのはたしか。
3部アニメを観た時「3部クオリティ」と言う意味がわかった。
クオリティが普通じゃあない。
自分なりになぜハイクオリティ(原作に忠実かどうかも含め)なモノになってるのかを考えると、
1:ジョジョの中でも3部は一番人気といっても過言ではない部であるため、半端なモノを作ると例によって叩かれまくるから。
2:3部は以前OVA化してる作品で、比較対象がありそれよりもいいモノにするという、スタッフの中では力の入れ方が違うのではないか。
3:1.2.4部と比べて制作期間が長かったように思える。
4:漫画の巻数で言えば3部と4部では同等、むしろ4部の方が1巻多かった気もするけど…
アニメでは4部の方が3部より10話ほど少ない。
そりゃあ、省きが多くなるわ。
こんな感じな気がする。
クオリティを落とさず、やりきってる所がそもそも普通じゃないのに。
ソレを引き合いに出されると、制作側もおてあげなきがするんだけど。
モノが消えることについて
モノが消えることについて書こうかと。
モノが消えるなんてあり得るのかと問われれば、そんなことは「ない」とも思う。
自分もとぼけているし、ボッとしてる人間で、特に何か焦っている時などに仮にモノをポンっと置くことがある。
おそろしく無意識化の行動なんだろうけど、
たまに「あれ…どこに置いただろう⁇」となることがある。
そういう人間だからこそ、今回書こうとしてる事も「お前の不注意じゃね⁇」と言われるのは間違いのない事だと思う。
はじめて、そういう事に出くわしたのは高校1年〜3年の時だ。
入学して間もないから、「中学校の卒アル見せてよ」と友達に頼まれたので一度だけ高校に持って言ったことがある。
さすがに、それを学校に忘れたりとかおかしなところに置くようなことはしていない。
それにも関わらず、それ以降家からその卒アルは消えてしまいました。
正確にいうと、無くしてしまったと思ったのが当時の心境。
それから、2年たち3年なった頃。
何かの間違いで生徒会などというものに加入させられ、生徒会室という場所に赴く事になる。
初めて入ったその部屋に、何故か自分世代の卒アルがポツンと一冊置いてあった。
「なんでこの世代のがあるんだろう?同じ学校出身のヤツなんて生徒会にいないのに」が率直な意見。
別にその卒アルに思い入れがある訳でもないし、ほうっておいたけど。
ある日、卒アルも忽然と姿を消しました。
「アレ…どこに行ったんだろう…」と思いました。その時は別に不思議だとか何も思いませんでした。
その日家に帰って本棚を見ると、2年前に無くしたはずの卒アルが戻っていました。
手元から消えた2年前。そして現れた2年後。
いくらとぼけている人間とはいえ、これは自分の仕業じゃないと思っている。
このようなことが、最近も起こりました。
少ないとはいえこれまでに4回起きている事象で、無事見つかる事もあればそのままなくなってしまう事もありました。
夢
この「夢」に関しては
「私には夢がある」と言ったキング牧師の指す夢ではなく。
眠っている時に見る夢のこと。
他の人の夢の内容など聞いたことがないから比べるものもなく、ただ自分の中ではおかしな夢をよく見ると思っている。
例えば3年前に見た夢の場所に再度訪れてしまうというような夢を見ることがある。
夢を見ている最中、「前にも来たことがある」という認識を持っている。
そして、目覚めた時も同じく前にこの場所見たという意識がある。
ただこれが本当に前に夢で訪れた事がある場所なのか…⁇
はたまた、今回の夢で「この場所は以前来たことがある」という意識を植え付けてしまったのか⁇その辺りがハッキリはしていない。
そういうところが奇妙な夢の要因。
そういう事が多々あり、ただ単に訪れたところもあれば仕事をしに来た場所でもあり。
特に奇妙に思ったのが、簡単に言うと以前来た時は池に水があったのに再度来た時にはその水は枯れてしまっていたりとか、夢の中の世界線でも時が流れているかのように状況が変わることがあると言うこと。
こう言った体験のある人とは未だ出会ったことはないので、この広いネットの波の中でそう言う人がいれば話が聞いて見たいという好奇心がある。